毎日書いているとネタがつきたりする物だが今日は小生
の愛する奥様からネタを頂いた。。。。。。。やはり愛です。
愛する奥様仕事で 兵庫県尼崎市の工場へ荷物を送ろ
うと送り状を書いていたら 電話番号の市外局番が066
で始まっていることに気がついた。(今更と言うことは決
して言わないでください、彼女にとっては新しい発見なの
です。)そこで調べてみると、色々蘊蓄が載っていたので
その理由までは小生も知りませんでした。
何故、兵庫県である尼崎市の市外局番が 066(昔は
06)から始まるのか?というと有る会社に行き着く。
尼崎市でもっとも電話利用が早かったのは 尼崎紡績
という会社だそうだ。現在のユニチカである。ユニチカ
の社史にも市外局番の件は触れられているようです。
1893(明治26)年4月に大阪電話交換局が開設され、
「尼崎本社工場と(営業拠点の)大阪出張所を結ぶ迅
速な連絡のためにも」明治26年6月に「伝法(大阪市)か
ら尼崎まで約13キロにわたる電柱と電話線を(自前で)
架設完了して電話交換局に献納(寄付)した」から。
と有るようで その後1954年に市街局番制度が適用され
た際にも尼崎市も大阪市内と同じ通話料金で利用でき
るようにとの配慮で、尼崎市が工事費の一部を負担し、
大阪市と同じ市外局番になったという経緯がある。当時
は市外局番が同じ場所へ通話をする際、料金が市外局
番が違う場所の半分で済んでいたことから、尼崎市は大
きな恩恵を受けたそうです。(今はあまり関係ないが)
しかし 自社の本社と出張所との連絡には電話が重要と
判断しその費用までも負担し寄付した尼崎紡績の先見の
目と英断に驚くばかりです。
企業等による寄付といえば 別の件も。
大阪・キタの玄関口にあり、JR大阪駅や阪急・阪神の
梅田駅を結ぶ「梅田新歩道橋」について、大阪市が26
日に命名権(ネーミングライツ)の入札を行い、ロート製
薬が落札した。契約は3年間。
また 創始者の山田氏が創設した山田スイミングクラブか
らは水泳の名選手が多く輩出されているのだが。
この「梅田新歩道橋」よく関西のTVでは街角インタビュー
が行われる場所としても有名なのだが 何故 「新」がつく
というのかと言うと 作られた当時 梅田歩道橋 というの
が近くに有った為である。
「梅田新歩道橋」昭和39年に完成したのだが 実は市が
建設した物ではない、経済成長と共に増える交通事故を
危惧した 松下幸之助が自費で建設し市に寄付した物な
のであるそうだ。
改めて松下幸之助の偉大さがつたわるエピソードとして
小生の心に書き留める事もあり紹介させて頂きました。
大きな公共投資を個人なり私企業なりが行う関西商人
の心意気 これらのこと忘れてはならない。
因み ネーミングライツの落札額は社名をもじって
年間6(ロー)10(ト)万円だったそうである。