電子立国はなぜ凋落したか? 日経の特集である。その(5)が昨日載っていたのだが 小生的に凄く考えさせられるところがあった。


 「ものづくり礼賛」が阻んだ半導体産業復活の道  日本経済新聞WEB版より

Sono5

 この記事では日本の半導体の凋落の原因の一つに 設計と製造を分業できなかった事にあると分析している。

 確かにそうかも知れない。世界は別の方向へ。。。。 以下は小生の分析である。

 

 昔(1960-75年頃まで?)、日本では メーカー(特に電器関連)が製品の設計・製造・運搬・小売り(流石に小売りは同一の経営で無かったが各店舗は電気メーカーのマークを付けた専門販売店の形態)まで面倒を見ていた。

かのパナソニック、当時の松下電器産業黎明期に 経営不振に陥った松下の経営者松下幸之助氏が、全国の販売店の店主達を熱海の温泉旅館に集めて支援を要望した話しは有名である。

 それ故 松下はナショナルショップを大事にしそれをないがしろにする量販店と熾烈な戦いを演じた、かつてのダイエーとの確執がそうである。

しかし その後やはり時代の変化に従い小売りは完全にメーカーによる経営の外へ出て行った。量販店の台頭であるが、今では 量販店すら通販との競争にさらされている。

 消費者に取って その店では有る特定のメーカーの物しか扱わないより各社の製品が比較できる方が便利でもあり効率的なのだ。

 

 次に(小売りと同時進行したとも考えられるが)運搬がメーカーの手から離れていった 昔は松下のトラック 東芝のトラックなどがあった 今でも日立物流は有る程度の規模があるが日立製作所の物だけを運んでいるのではない。

 

 考えてみれば 特定のメーカーの商品だけを運ぶ場合そのメーカーの状況でトラックの負荷が変動し効率が悪い それなら同一方向へ運ぶ各社の商品を混載する方がメーカー間のばらつきも押さえられ効率的である。特に工場から販売店荷物を運んだ場合その帰りは空での走行になるケースが多くなる。しかし家電品だけではなくその他様々な商品を運ぶ運送専門業者なら帰りに別の荷物を乗せればよい そんな経済理論から各メーカーは自社のトラックで荷物を運ぶのを止め 運送業者が巨大化した。電気とは別だがヤマト運輸のルーツは百貨店の配送である。

 

 こうして ものづくりのメーカーから 小売り 運送 が外れていったのだが日本では これ以上のことが起きなかった。

 ものづくりの構想・設計と実製造の分離は不可能と考えている人が今も多数なのだ。

 確かに物を作るときには 新しい機械や工場のレイアウトが必要になりそれは設計に直結している 場合によっては工場の都合で設計を見直すことも必要と考えられているからだ。

 

 私事だが 小生は小さなメーカーで働いている小さな会社なので資本力もなくそこで加工する物を全て自社内で加工することが出来ない各工程で専業の外部の会社に委託加工している。その場合 客先が監査等でやってきてよく言われるのが「一貫での生産をしていないのですね」ということであり それはネガティブな評価なのである。発注する側の人はメーカーであったり商社の人であったりするのだがその点については 驚くほど 同じようなネガティブ点が付くようだ。

 

 本題に戻ろう しかし時代は2000年程度から明らかに変化した。それまで無理と考えられていた 設計と製造の分離が実現したのである。皆さんが知っている一番有名な例が アップルとFOXCONであろう。

 iPhone iPadはアップルの製品だが アップルで製造したことがない。

作っているのはFOXCON(台湾の鴻海科技集團が展開する工場名だ)である。

 FOXCONは工場専業(ファウンドリ)である。

 

ファウンドリはそれまでのメーカーの製造技術から一段落ちたところにその製造技術が有ったと考えられた。しかし、先の運送の例に近いが 特定のメーカーの工場はそのメーカーの製品サイクルにより工場の負荷率が変化する、それに対してファウンドリは他のクライアントの商品を作ることにより工場の稼働を安定させる事が出来たのだ(それと安価な労働力を求めて 中国・ベトナムといった国で製造した事もある--これらの国々では労働者の権利も弱くかなり強引な首切りも行われた様だ  今ではそれは難しいが)。

 更に工場の稼動率が安定することでその製造設備の償却が進み最新の設備を導入するようになると 今までのメーカーよりも新しい設備でものづくりが出来る様になったのだ(そうなると製造装置を作る会社は ファウンドリを重要視して彼らの要望で製造設備を作るようにもなる)。また、メーカーが旧式と判断した設備を安価に中古設備として購入しこなれた商品を よりやすく供給するファウンドリも表れた。実は、製造業は最新鋭の物を作っているときにはさほど利益が出ない、それらの商品がこなれて安価になり 競合他社が減っていったときに安定した収益を生み出す事がある。(一時期のパナソニックのアイロンなどが良い例である)

 メーカーはこうしたファウンドリの出現により先行者利益・残存者利益の二つを失ったのである。

 

 私事に戻すと 小生の勤める会社の業界ではそうして一貫して製造していた所は海外でその全てを生産する日本メーカーとは言えない業態を取る一部の大手を除き ことごとく消えていった。監査等でネガティブな点を付けられていた会社が青色吐息でかろうじて残っているのである。

 

(それらネガティブな点を付けていた

 メーカーももはや日本にはほとんど

 残っていないが。。。。)


それでも日本の会社は未だに設計と製造は同一視しがちであるしその製造も一貫での製造を求める それが正しいかどうかではないのだが。。。。。。。。 

 

 (小生も その考え方から完全に脱却

 できていない 設計だけが異なる商品

 を同じ工場で作っているのは 如何な

 ものか??という考えが根底にある。)

 






 実は似たような形態が昔 F-1の世界に有った。エンジンとシャーシーの関係で一時期 サーキットを走るマシンのほとんどが同じエンジンを搭載していた時期がある チームの優越はシャーシーの設計によるところが大きかった。

 

 この状況に今の電機業界が似ているように思える。

 

では 果たして設計と製造の分離は未来永劫続くのであろうか???

 小生はその答えも F-1に有るように思う エンジンを統一したりタイヤを統一したりすると経費が削減できる-ファウンドリの理論と全く同一である- しかし それがレースを見る観客(消費者である)にとって単純に 「面白いか」と言うとそうではないのである。

 

奇しくも F-1でエンジンがほぼ統一されていた頃 唯我独尊で自身のエンジンに固執していたのがフェラーリーである。

 これは WINODWS全盛期に唯我独尊で違うOSを使うアップルに似ている。そのアップルが 設計と製造の分離で成功したのは実に不思議である。

 但し、アップルは OSとその使用機器を分離せずにいてそれを分離しているアンドロイドに追い上げられているのだが。。。。。。

 やはり各社「分離」というキーワードにはそれぞれの考え方があるようだ。

    

冒頭の日経の記事に戻ろう

 

 日本では「ものづくり」が礼賛され日本経済 

 の発展には「ものづくり」の強化 が必要で

 あるとされてきた。

 

との一説があった。

 小生は やはりこの理論が正しいと思いたいのであるが。。。果たして未来の「ものづくりは」どうなっていくのであろう????

 

PS

 因みに まだ自動車は設計と製造が同一である 実は設計と製造が分離するのではとの試みはかつてのスーパーカーブームの時に存在した。イタリアの設計専業「カロッツェリア」である。一時期は日本のメーカーも設計を委託したことがある。しかし それが発展はしなかった。。。どうしてであろうか???

 又、どこかの機会で分析したい。