7/20土曜日 高知での出張業務も終わり 朝食後、帰阪の途に付いた 往路は明石海峡大橋のルートであったが 気分変えて帰路は瀬戸大橋ルートにした。

 高知道を抜け坂出市へ出ると 工業地帯の真ん中を瀬戸大橋が鮮やかに 岡山への道を示していた。丁度1時間半ばかり走ったので休憩をかね 瀬戸大橋と言えば 与島 とのイメージがあり与島PAへ車を走らせたのであるが、そこはかつて1988年の開通直後多くの観光客が押し寄せていた頃と違い閑散としていた。

 

 かつて1990年頃会社の慰安旅行で訪れた時も 大層賑わっていた記憶があるのだが。。。。

 確か ヘリコプター遊覧 なんてのもあったはず。・。・






 その施設「与島フィッシャーマンズ・ワーフ」が確か与島の東側にあったと思い PAからの道を車走らせた。

 



しかし、そこには何もなかった!!!




 「えっ!!!」


  

そこで調べてみると。。。(何も調べないで行くのが小生流では無いのですが。。。)

 なんと与島フィッシャーマンズ・ワーフは2011年11月30日で閉鎖されていた。

 開業当初は 予測の倍以上の売り上げがあり(来場者は516万にも達したらしい)当初の運営会社京阪もウハウハだったようだが、(丁度バブル経済まっただ中であったのも影響しているようだ)


 そのブームは3年程度しか持たなかったようだ。

 

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 その後2003年京阪は経営から手を引き 鳥取の八幡建設が引き継いでいたらしいが。。。。。。。。


 それも2011年11月末をもって終了 今年の1月からは解体工事が開始されたらしい。

 今では 第2駐車場というパーキングエリアの前にがれきが。。。。。。。。。。。(余りにも寂しく写真すら撮れませんでした。)


 2003年 フジテレビ系列では

 


  『架橋の島の大誤算~瀬戸大橋にゆれた15年~』

 

 

と言う ドキュメンタリーが放送されていたとも。

その中では、2003年に経営が変わったフィッシャーマンズ・ワーフを


 これまで「立ち寄り型」だった施設に温泉を

 掘削するなどして、滞在型の施設に脱皮させ

 ようとしていた。

 京阪電鉄時代にフィッシャーマンズワーフを

 立ち上げた人が京阪電鉄を退職して後継会社

 の専務としてそのまま与島に残った。

 架橋15年の与島には厳しい現実が突きつけら

 れたが、彼は「与島は宝の島であり、夢の島

 であるといつも言い続けていた。これからも

 宝の島と夢の島の実現に向かって頑張ってい

 きたい」と島の再生に意欲を燃やす。


と締めくくっていたようだが その放送から10年で夢は消えたようだ。

 何とも寂しい物を 目にしたような気がした。


 

与島PAに戻りソフトクリームを食べながら 瀬戸大橋を眺める

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開通 25年目の瀬戸大橋である。


平安時代 瀬戸内海を西へ西へと平家は落ちていった。

 

 平家物語の一節 「強者共が夢の後。。。。。。。。」

 

橋を渡る人々には聞こえないかも知れないが。。。。。