この記事NOである以上 この内容になるのは致し方
有るまい。
30歳代以上の人で始めて乗った飛行機がボーイング
747型機である人は 多いのではないだろうか??
1969年初飛行であり 翌1970年には日本航空にも導入
されており 1970年に放映された アテンションプリーズ
(主演 紀比呂子)でも その雄姿が映し出されている。
コメットで幕を開けたジェット旅客機の時代は1950年代
に開発された ボーイング707 及び ダグラスDC-8が
1960年代には世界中を飛び回っていたが そのキャパ
は150-200人乗りであった。各航空旅客会社はその機
材で乗客の獲得競争を行っていたのだが、その中で
パンアメリカン航空(パンナム)は 当時 将来の航空機
として 各社が超音速機を考えているにもかかわらず、
航空需要が右肩上がりになると読み、従来機の2倍以上
(400人)の乗客キャパをもつ大型機の開発をボーイング
社に要求した。米軍向けの大型貨物機競争でロッキード
社に破れた(その時の勝利した貨物機がC-5ギャラクシー
である)ので 開発途中の機体を旅客転用しボーイングが
回答したのが 後の747型機であると言われる。
計画当初はALL2階建ての案もあったようだがFAA基準
である 全乗客が90秒以内に機外に脱出できること が
クリアー出来ないと判断し断念したそうである。
因みに ボーイングでは将来は超音速機の時代になる
と考えていたので 大きな頭は将来貨物機に転用できる
様に残したとも言われる。
或意味当初は あくまでも繋ぎ・急場しのぎの機体との
考えであったのだから その後莫大な利益をもたらすとは
ボーイングも考えていなかったであろう。
計画はパンナムが20機を発注したことで実生産になる
のだが 其れを聞き 英国航空や日本航空が相次ぎ発注
しボーイングは本腰を入れだしたとも言われる。
当初は エンジン性能が所定の能力に達せず 超長距離
運用には困難さがあったが 次第に改良が進み 最終的に
は 東京-ニューヨーク間の飛行もこなせるにまでなった。
(-200型)
この機体がベストセラーになったのは 当時の時代要請と
細かい改良を続けたことになろうか 同様のキャパを持った
機体が無く 選択肢もなかったのである。
大きな機体であるにも拘わらず エンジンの高性能化及び
巧みな翼の補助翼などで 離着陸に必要な滑走路長を必要
としなかった事も大きい。
いるのである。(実に40年を超えているのである)
747型機の特徴の一つは大きな頭を利用した2階席であ
る 当初は ラウンジみたいなものも考えられていた様だ。
この大きな頭部分と 垂直部分の距離が短いほど燃費
が良くなる。当初の改良型機である -SPで 機体を短く
した所(始めは軽量化の意味で機体を短くしたのだが)
著しく燃費が向上したのである。 その為 -300からは
その頭部分を後ろの延ばし(SUD スーパーアッパー
デッキの略) 乗客キャパを増やし燃費を良くする一石
二鳥が測られている。
(増やしたキャパはYS-11 1機分に相当するのだ)
初期型が
当初のコックピットは
グラスコックピットが採用されている。
ベストセラー機で有る故 変わり種も多く 各国の政府
関係機体も多く存在する。
有名なエアーフォースワン(知っておられる方もいるが
エアーフォースワンは アメリカ大統領が乗っている機体
と言う意味で この機体を特定するものではない)
VC-25 が正規の名称である。
Japanese Air Force 001/002: 任務飛行中場合。
Cygnus 01/02: 訓練時、および任務外移動時。等)
などである。
全部で1500機に近い製造がされ 航空会社1社による
合計発注機数は、日本航空の113機が最多である。
さて 乗り物ファンの小生の心残りは 747型機の2階に
乗ったことである、此は実に残念なのであるが日本の航空
会社からは 退役しているので その望みは叶えられない
可能性が高い。諦めたわけではないが。。。。。。。。。。
747型機 通称ジャンボ(因みにであるが この通称当初
はボーイング社は認めたがらなかったそうであるが)は今
も世界を飛び続けているのである。
かった 又日を改めて 蘊蓄を。。。。。。。。。。。。。
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