今週号からだが週間プレイボーイで 日本ペンクラブ

会長の 浅田次郎氏の「人間道場」という連載コラム

が掲載されている。

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構成上は 浅田氏が人生の師範となり、同誌のメイン

読者である20代の若者たちに「人生の何たるか」を、

時に優しく、時に激しく諭(さと)していく連載というスタ

イルである。浅田氏が一方的に語りかけるのではなく、

門弟の担当編集者・太朗(26歳)が登場し、ふたりで

論を交わしながら核心に迫るという形だ。

 その中で 第一回で「格差社会」が一つのテーマに

なっていた。

そのくだりは次のような物だ。

  「最近の若い者は」という言い方は好きではない、

   と語る浅田氏だが、あえて「最近の若者像」をた

   ずねたところ、こう語りだした。

   「そうだな……、個性がなくなってきているという

   気はするな。それは、今の日本社会に格差が少

   なくなってきているからだと思う。ニュースでは

   よく言われているけど、今の日本の世の中が

   格差社会だなんて、ぜいたくでわがままだよ。

   僕らの時代だって、ずいぶん格差は縮まってい

   た。それでも、経済的な理由で中学から高校に

   行けない子供もざらにいたからね。今はそこま

   でではないだろう。

    これは僕の持論なんだけれど、『食べられない

   こと』『命の危険にさらされていること』、このふた

   つに比べたら、ほかのことなんて案外大したこと

   ではない。週プレの読者は毎週雑誌を買えるの

   だから、そのふたつには該当しないはずだ」

 

これには、小生全く同意である。現在の日本にはあま

り格差が無いように考える。

 確かに収入面での開きは大きい人がいるが本来の

格差社会は貧乏人は徹底的に貧乏である。浅田氏が

言うところの「食べられない」のである。今の日本に、

今日の夕飯が食べられない人が果たしているのだろ

うか??

 最近の格差の開きは単に金持ち側へ大きくシフトし

ていて持っている人にはそれ以上の金が貯まるとい

うもので(それはそうでうらやましいが)格差社会という

ものでは無い。

 小生は51歳 浅田氏は60歳であるから戦後10年

昭和30年(1955年)以降では格差はかなり減ってきて

いたのではないか?

ある意味、55年体制と言うのは日本の格差社会からの

決別時期であり その崩壊とともに本来の格差社会が

なくなった時期より マスコミ等が一層「格差社会」と呼

ぶ様になったと考えられる。 

 そう言えば収入面ではマスコミの収入は大変宜しい

ようで 女子アナの年収が軽く1千万円を超える会社

であるマスコミに 本当の意味で「貧乏」の意味は理解

出来ないのではないだろうか??

 

別の意味での格差社会を生み出しているのはマスコミ

そのものでも有るかも知れない。

 

そんな本筋点を氏は指摘しているのではないだろうか?

 

小生 JAL機に乗る際には氏のコラムを楽しみにして

いるのだが これからは毎週氏のコラムを近所の喫茶

店で読むことをしばらく楽しみに出来そうである。