こんな記事がでていた。

   青函連絡船「摩周丸」、なぜ17年ぶりに動いた?


内容は 記事をご覧いただくとして「青函連絡船」とか「摩周丸」とか言っても今の若い人たちはわからないのかもしれない。

こういう時はウィキペディアから 引用してみよう まずは青函連絡船

 

  青函連絡船(せいかんれんらくせん)は、1908年(明治41年)から
  1988年(昭和63年)までの間、東北本線(現在の青い森鉄道)及び
  奥羽本線の終点である青森駅と、津軽海峡を隔てた北海道、函館本線
  の起点である函館駅とを結んでいた鉄道連絡船。 鉄道国有化直後の
  国鉄により開設され、国鉄分割民営化後、間もなく開業した青函トン
  ネルにその役割を譲って終航した。

 

実に80年間に渡り 本州と北海道を結ぶ大動脈であった。

1954年9月26日には 台風15号の強風波浪により なんと5隻もの連絡船が函館港防波堤外で沈没する(「第十一青函丸」「北見丸」「洞爺丸」「十勝丸(初代)」「日高丸(初代))

所謂 洞爺丸事件の発生で これら5隻で、あわせて1,430名の犠牲者を出した。

台風15号は後に洞爺丸台風と命名されている。この事故が青函トンネル計画の具体化を後押ししたと言われている。


さて 摩周丸は1965年6月30日に就航している。青函連絡船として23年間運行され その後博物館として函館港に係留されている。ウキペディアによると


  函館市青函連絡船記念館摩周丸は北海道函館市にある博物館船
  である。

    日本国有鉄道(→北海道旅客鉄道)青函航路に就航していた
  津軽丸型連絡船  「摩周丸(2代目)」の船体を使用(博物館船)
  し、内部も一部現役当時のものを残している。

 

とある。

 実は、小生青函連絡船運行時にそれに乗船したことはないのだが 20世紀も終わろうとしていた1999年に 会社の慰安旅行で小樽ー札幌ー函館に行ったことが有り 函館での夕食は自由時間であったため 「五島軒」での ディナー とその後摩周丸内のビアレストランで2次会と洒落込んだことがあった。

もう一度ウィキペディアを見てみると 摩周丸の年表には


 ・1997年 (平成9年) - 地ビールメーカー「函館麦酒工房」が空き
  テナントを活用し、ピアマーケット1階に工場及びレストランを
  開設。


 ・2001年(平成13年)8月 - 「ピアマーケット」及び「メモリアル
  シップ摩周丸」の運営会社であった函館シーポートプラザが、
  多額の負債のため摩周丸の買い取りを函館市へ打診。


とあるので 1999年は その「函館麦酒工房」の営業するレストランだったようだ。結局その後それも赤字で苦しんでいたようだが。。。。


そして 冒頭にあるように

  ・2020年2月5日 - 船体改修のため、対岸にある「函館どつく」
   へ3隻のタグボートでえい航。摩周丸が海上を移動するのは、
   2003年の改修以来17年ぶり。


となったようだ。小生が行った1999年以降2003年にも改修で海上移動しているようであるが もうそんなに年月が経ったのか???と感慨深い記事であった。


FireShot Capture 059 - 摩周丸

 ちなみに そのレストランで食った カジキマグロの頬のステーキ は絶品であったことを添えておく。