それは 昨日の朝の出来事であった。出張滞在先のホテルからを出て
事務所にまさに入ろうとしたときである。
ふと 視線を感じた。
「見られている」と普段は鈍感な小生がどういう訳か直感した。
慌てて周りを見渡す 小生の周辺に人はいない。しかしながら 小生の
感性は未だ「見られている」感で満ち溢れている。これは。。。。。。。
善の神が 小生の日頃の善行を思い憚って見つめているのであろうか?
それとも悪の神が 小生の積み重ねた悪行を断罪しようとしているので
あろうか??
しかし どうもその視線感は それらをも超越した全能の神が小生の
すべてを見極めた上で 見つめているかのごとくである、小生の数々
の煩悩を包み込むように
「そんなことは 大した事ではない」
とでも ささやくようである。
これはついに小生も悟りを開く境地に達したということなのだろうか?
神様がそれを知らせるべく 小生に視線を送っているのであろうか??
そんな不思議な感覚に囚われていたのは 数秒間であろうか?
ふと 事務所の前の建物を見上げると 小生は確かに
「見つめられていた。」
この世の喧騒 昨夜もココ赤羽で繰り広げられたであろう 飲んだくれ
達の騒動 それらの騒動とは裏腹に朝早くから仕事等にせかせかと出掛
て行くであろう人たちを 神の視線で俯瞰する 猫がいたのである。
向かいの建物の二階の窓辺 ベランダという広いスペースではなく、単
に窓枠が広がったようなスペースに 腰を下ろし 世の人々を俯瞰して
いるのである。
因みに 東京ー大阪往復の機内誌で拝読させて頂いた浅田次郎先生の
今月のエッセイは ご自宅の老猫が家出して大変という物語であったが、
小生が目撃した 猫はそれほど高貴なものでは無かったような気がする。
とにかく 「猫」はどこか人を喰ったというか 見下すというかそういう
部分があるのだが 今回小生の遭遇した猫は まさに小生を見下していた。
ただ、あの俯瞰視線 その境地になにか憧れのようなものを感じている
のは 何故であろうか??
世を卓越したもののみが 味わえる そんな気がするのだが。。。。。
小生は いつになれば あの境地に達することができるのであろうか?
キット そんな境地に達することなどできまい と感じた朝であった。