先週末から日曜日にかけてNHK「ブラタモリ」及び大河ドラマ「真田丸」
は大阪(正確に言うと当時は大坂)を舞台としていた。興味深く拝見させて
頂いた。
余談ではあるが「真田丸」は三谷幸喜氏の脚本である 氏の脚本での大河
ドラマは確か「新撰組」以来ではなかったろうか?? 「新撰組」に関し
ては彼流のお笑いエッセンスが全面に出すぎて悪評であった、しかし今回
は演じる役者とのバランスもよく 非常にうまい演出の様に感じている。
11/6の回ではオープニングにテーマ・ソングが無く 一体いつそれ
をやるのだろうと思っていたら なんとエンディング部分で主役の
「それは 真田丸よ!!」
のセリフにかぶせてテーマ・ソングを流すという大河ドラマではおそら
く初めての演出で 見せつけてくれた。あと数回 楽しみである。
さて 今の大阪繁華街と言えば 「キタ」「ミナミ」となるのだがご承知の
通り「キタ」のほうが高級である。大阪にしても京都にしても神戸にしても
その都市の中の格付けでは北側が上で南側が下と言うようなイメージが
ある。
京都は北側が行動が高く街の真ん中を流れる河川は北から南へ流れる古代
水を最初に使う人が偉い人 という考えがあった。京都の北側には当然の様
に御所がある 最初に水を使うのは 皇室なのである。下流に行くほど庶民
である。これは納得できよう。
神戸も北へ行くと六甲山地があり高くなっており 南側は海だ。同様に考
えれば同じと考えられよう。
問題は我が大阪である。
ブラタモリでも触れていたのだが 大阪城のある部分は上町台地の北のヘリ
になる。東側に生駒山地があり上町台地と生駒山地の間は湿地帯であった。
先程の地図に加筆すると こうなる
赤が地形的に高くなっているところ 青が湿地帯です
(大阪城東側の この湿地帯弥生時代-平安時代の頃は 河内湖という湖)
地名的に言っても 淀川-湿地帯から内側なので 河内 である。
ここのページで 古代からの地形変化が確認できる。
そして 先程のキタ・ミナミの話になるのだが 今そう言われている地名は
キタ=梅田 ミナミ=なんば である。その地名からタモリさんは即座に答
えたのですが 梅田--埋めた とその場所は昔 埋めたところ そう湿地
帯であったのだ。それに引き換え なんば=難波--波の当たるところすな
わち海辺-上町台地のヘリの港のあった所である。つまり古くからミナミは
土地があり人々が生活していたのだが キタは古代は海 その後湿地帯で
平安期以降に人工的に「埋め立て」された所なのである。
普通に考えれば湿地帯なんて庶民すら住めない場所であったはずなのだが
今ではそれが 高級歓楽街を含む大繁華街である。(これには 明治期以降
鉄道敷設が行われ 大阪駅が梅田にできたことが非常に大きいのだろう)
大阪市の南側は現在 大和川になっているがこれは江戸時代以降に付け替え
れれたもので 古代大和川は 河内湖に注いでいた。その後湿地帯となった
が戦国時代でも大阪城の北側を経て大阪湾に注いでいた。当時 大阪と堺は
つながっていたのである。
今となっては 京阪神つながりで淀川の北側が大阪の主流のようにされて
いるが 平安期から戦国時代までは 実は大坂-堺ののほうが主流であった
のだ。。。。。
そういう点で言うと 南大阪の人々から言うと恨み深いのは
江戸時代の 大和川の付替え
明治時代の 鉄道敷設
と言うことになる。
そんなことを考えながら 「真田丸」見るのも面白いですよ!!