J-CASTニュース に こんなのが出ていた。
ホリエモン「寿司職人が何年も修行するのはバカ」発言 数か月で独り立ちの寿司はうまいか
寿司職人として一人前になるためには「飯炊き3年、握り8年」の修行が必要
と言われる事があるが そこに堀江貴文氏が突っ込みを入れたことによる騒
動である。記事では堀江氏の考えは
長い期間の修行や苦労によって手に入れたものは価値がある、というのは
偏見であり寿司職人の修行というのは若手を安月給でこき使うための戯言
に過ぎないというのだ。
と言う風に要約している。果たしてそのままの要約で良いのかどうかは本人
でないと分からないだろうが、有る部分は彼の批判は当たっておりまた有る
部分は当たっていない様な気がする。
此処で言う「寿司を握る人=寿司職人」はどのような人の事を言うのであ
ろうか?
恐らく 堀江氏の言う「寿司を握る人=寿司職人」は単に食べる寿司を握る
作業に特化した人であろう。生きの良い魚を誰かが仕入れてきて冷蔵庫に保
管 誰かが炊いた美味しい寿司飯も用意されている。そこでおもむろに彼の
言う「寿司を握る人=寿司職人」が寿司を握るひょっとすると切り身にする
のも別に人かも知れない。そして お皿に並べる お客に差し出すのも別の
人である。その場合は彼に言うとおり数ヶ月もあればその料理としての寿司
を完成させる事は出来よう。
これは 回転寿司で寿司を握る職人に繋がるかも知れない。アルバイトに
毛が生えたレベルの人が握っても コストを考えればそこそこ食べられる。
それは皆さんもお分かりかもしれない。
彼に反論する人々の意見 記事では次の意見に代表される
「寿司は日本の伝統食であり、美食の象徴でもあります。やはり一流を
目指すとなると、現在第一線で活躍する巨匠たちの辿ってきた道、つ
まり『飯炊き3年、握り8年』を実践するのが一番確かな道です」
この意見で言う「寿司を握る人=寿司職人」は寿司だけを握る人では無い
自身で魚市場で旬の生きの良い物を仕入れる 寿司飯も自身の納得するも
のを自身で炊き酢を合わせ寿司飯にする。切り身にする包丁は命より大事
である。そしてお客さんの様子 話しなどからタイミングを計り注文され
たものを一番美味しく食べれらる時に出す。更に店の経営者としての採算
他の管理も必要 と言う有る意味経営者 別の意味で総合調理人はたまた
ある時には営業マンの資質すら必要 という寿司屋の親方のイメージでは
無いだろうか。この場合は 当然他に店で修業を重ねながらそれらの手順
を親方から学び ある時には調理人として全く無意味と堀江氏が言うかも
知れない皿洗いを続ける事も必要であろう。
20世紀後半から21世紀になりあらゆる職業が細分化されそれぞれの
パートを負担しそれを総合的にプロデュースする人が統合すると言うよう
に仕事の進め方が変わって来ている。小生はそれがすべて正しいとは思わ
ないが、確かに効率的な部分は否定できない。 この場合 一生皿洗いを
続ける職業 ずっとトラックで物を運ぶ運転だけをする職業(荷物の積み
卸しさえ別に人がフォークリフトで行う)というのがあり得るのだが そ
こに小生は否定的だ。皿洗いだけ・プロデュースだけの仕事が面白いはず
がない。仕事はお金を稼ぐだけのもの と割り切れる人がいればそれでも
我慢できるのだろうか??
しかし 仕事を面白いようにするには少しは無意味な仕事をこなす時期
が必要と言うつもりはないが そんなときが有るのでは??とは思う。
堀江貴文氏の意見は合理的であるかも知れないが 職業としての面白み
(それが最終的に 一芸に秀でる 人がその職業に精進できる理由だと)
を見いだせないのでは??
話しを寿司職人に戻すと とてつもなく腕の良い寿司職人(但し センス
で寿司を握るのが旨いが 他の修業はしていない)が店を構えて果たして
お客とのやり取りをこなし 他の使用人を使い 店をやりくりできるとは
思えない それらを補助する人が当然必要であろう。(堀江氏は その点
それらの事を仕切れる人かも知れないが)
「寿司を握る人=寿司職人」と言っても この議論根本的なところで
違うところに目を当てているのでは???
これを正に表現しているのが BOSSのコマーシャルではないだろうか?
小生の好きなものの一つなのであるが 上記の議論を有る意味要約している
ような??・
皆さんは どう思われますか??