日産自動車の社長は今やルノー社長を兼任する
カルロスゴーン氏である事は周知の事実である。
しかし、彼が日産社長に就任する前に彼を知って
いた日本人は小生含めてあまりいなかった。
「明日があるさ」の歌詞でも出てくる様にフランス人
上司が来る事になった日産社内では当時は大騒ぎ
だったかも知れない。
ルノー副社長だった当時 不採算事業所の閉鎖
や調達先の集約などで経費の圧縮を進め、数年で
ルノーは黒字に転換した。ベルギー工場閉鎖などは、
両国間の外交問題にまでなったそうである。そんな事
からゴーンには「コストカッター」「コストキラー」の異名
が付いていたそうだ。
しかし 彼は日産社長就任後 日産がバックアップ
していた サッカー マリノスや都市対抗野球チーム
は極力意地に努めた。
又、セドリック/グロリア、サニーといった伝統的な
車名を次々に廃止したことに対しては、ゴーン自身は
車名が体現する伝統の大事さを訴え、販売部署が望
んだブランド名変更に最後まで反対だったという。
その後の日産の立ち直りは皆様の周知の通りです。
そのゴーン氏が 三顧の礼で迎えた人物が今日産で
辣腕を振るっているそうである。(日経から)
その人物は 南アフリカ出身の「ヨハン・ダネイスン」
氏 彼は 以前アウディジャパンのトップであった。
当時 VWと提携関係に有り[DUO]と言う販売ブランド
を立ち上げていたトヨタに対して、2000年のある日
VW車とアウディ車の併売を 禁止したという。
アウディの高級ブランド感を際だたせる事が狙いだ。
その件でトヨタは激怒したらしい。
が、彼はしたたかに以前VW車を扱っていたヤナセに
接近しヤナセ-アウディで合弁販売会社を立ち上げ
トヨタがアウディ販売から手を引いた際の保険をかけ
アウディの日本販売が落ちる事が無かったそうだ。
その後彼は米国法人のトップとなったが彼にゴーン
氏は注目し スカウトに走った。
米国法人が ドイツ人を重視する事に疑問を感じ始
めていたダネイスン氏は それに乗った。
ゴーン氏はダネイスン氏を日産の高級ブランドである
インフィニティのTOPにしたのである。
入社から約2カ月でインフィニティの問題点を分析した
ダネイスン氏ははブランド再生の腹案を固め、ゴーン
に示すつもりだった。「自分の主張をのんでくれなけれ
ば辞めるつもりだ」。周囲にこう漏らしていたという。
その中には生産計画の変更も含まれていたようだ。
これを ゴーン氏は飲んだ。
ダネイスンは「日産からの独立運動」を加速し、イン
フィニティの文化を変えようとしている。
「高級車ブランドを生みだすメンバー
として自覚があるのか!」
香港のインフィニティ本社ではスーツを着用していな
い社員をダネイスンが厳しくたしなめることがあるとい
う。経営の自主性を確保したうえで、従業員の服装に
まで目を光らせ、自身の流儀を通そうとしているようだ。
こうして彼は今 日産の次期社長レースの台風の目
になり始めている。
日経の記事では 最後こう締めくくられていた
後継候補にはマーケティング改革を指揮する英国人の
副社長、アンディ・パーマー、アジア・購買統括の副社
長の西川広人らの名前があがるが、世代交代を進め
るために執行役員クラスからの抜擢もありうる。
中国・三国時代、劉備は諸葛孔明を三度にわたって訪
ねる「三顧の礼」で軍師として迎え入れ、孔明はその期
待に応えた。長年の懸案だった高級車ビジネスを成功
させれば、ゴーンが三顧の礼で招いたダネイスン氏が
有力候補として浮上するかもしれない。
そうすると新しい上司は 南アフリカ人??