2011年12月

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     昨日 仕事で隣接県のある工場に出かけた。

     

     東証一部上場の大手メーカーの工場で その歴史は50年と言う

    からかなり古い工場ででもある。かつては此処から世界を風靡した

    製品等も出荷されていたのである。

     10年ほど前に訪れたときは大型の事務機等が生産され、大きな

    トラックが何台も製品の積み込みをおこなっておりフォークリフトが

    走り回り 作業者も沢山いた。昼休みになると構内の自動車通行

    が禁止され 構内の道路では作業者たちがバトミントンなんかを

    行っていたのを覚えていたのだが。。。。。。。。。。。。。

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    今日 訪問したのは14時だったのだが、広大な敷地が閑散としている。

    人の往来が余り無いのだ!。トラックなんて1台いない、一体どうしたの

    だ?。

     仕事なので 受付で入門チェックを行い(昔は人の出入りが激しいの

    でここでも結構待たされたのだが 今日はすぐに済んだ) 駐車場に車

    を入れて敷地内を歩いていくと 一部の建屋の入り口が開いていた。

     中をのぞいてみると 何も無い 広大なスペースだけが有るのだ。

     反対側の建屋では 大きなシャッターが何枚も閉まったままである。

     

     この広大な敷地は開きスペースとなりつつある様だ。

    聞くところのによると ここで生産していたものはほとんど中国等海外

    へ生産を移したのだという。建物の上階部分にはいまだに設計開発

    部門が一部残っておりそこには人が沢山いるのらしいが、それならこ

    んな広大なスペースは必要ない。

     この工場の周辺には そう言えば従業員の車通勤用の駐車場が

    沢山有ったのだが それも減っているようだ。

     そう言えば工場の隣のパチンコ屋も潰れていた。やはり全体の人員

    もかなり減っているのではないだろうか?

     

     そんな中で仕事を打ち合わせはしてきたのですが。。。。。。。。。

     何か 日本の将来を暗示しているようで とてもさびしい気持ちになり

    ました。

     これは何もこのメーカーだけでは無いのであろう。先般も3年前に稼動

    した最新鋭の工場をも閉鎖するとパナソニックが発表したばかりである

     もはや日本に広大な工場は必要ないのかもしれない。

     

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     今日はこのネタに触れざるを得ない。

     昨日 北朝鮮の金正日が死んだと報道された、死亡は17日の事だと

    言う。

     

     そして その後継者は 三男 正恩だと言う しかし彼は28歳である。

    瀬戸際外交と呼ばれ 国際的な孤立を選択し 核開発を行いながら 

    人民は貧困・餓死しつつあるこの状況で 28歳に国家の先を託さなけ

    ればいけない状況である。

     果たして、彼はそれを望んでいるのだろうか??

     

     現在、マカオや北京をうろうろしながら西側とビジネスを続け一説に

    よると北のお金をマネーロンダリングしているという 長男 正男 は

    自身が後継者に選ばれなかったことに対して 

     「それは 将軍様だけが選択できる事だ」

    と 西側記者に語ったと言うが 正恩よりもはるかに年上の正男にして

    もその重圧には耐えがたかったのではないだろうか 先のインタビュー

    でも 淡々と語ったのはその重圧から開放されたと言う安堵感が先に

    たってのでは無いだろうか?

     

     よっぽどの馬鹿か 天才で無ければ 現状の北朝鮮国家の指導者に

    なることがどれだけの事だか良く分かりそうなものだ。

     独裁者が今年各国で哀れな結末を迎えていることは世界の知るところ

    である。彼は カダフィになろうと言うのだろうか??

     確かに 取り巻きは彼を失えば権力を失うわけで当然彼を盛り立てよう

    とするだろうがきわどい選択を 28歳の 若者に選択せよと言うのも酷

    な話だと思う。

     

     逃げ出したいと 思えどそれも許されない なんともつらい立場である。

    彼にも選択肢が無いのである。

     とても哀れな話である。

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     体調不良である。土曜日午後から発熱し 帰宅して

    かなり寝た しかし快調までは程遠い。

     

     さて、小生朝はいつもFMラジオの音で目覚める。

    安物のラジカセ(これも15年以上前のもの)を小生が

    大学生の頃だから30年以上前に購入したタイマー

    (正確にはオーディオタイマー)を繋ぎそれを目覚まし

    代わりに使用していた。

    しかしすがに30年経つと時計が正確では無くなって

    来た(毎日進むのだ)もう駄目と判断するに至った。

     Photo_5 Photo_6

    今は無き赤井電機の製品である 品番はDT-125

    いまや珍しい MADE IN JAPAN と書かれている。

    規格は次の様であったらしい。

    型式 オーディオタイマー
    時間基準 水晶発振器
    時間精度 月差±15秒(常温にて)
    時刻表示 12時間方式
    動作時刻セット 1分単位、ONとOFF1回(2動作)のセットが可能
    タイマー精度 0.02秒以内
    スリープタイマー 1分~1時間59分
    ACアウトレット Switched(タイマーと連動):2系統、合計1,200W
    電源 AC100V、50Hz/60Hz
    消費電力 6W
    外形寸法 幅280×高さ57×奥行112mm
    重量 約1.2kg

     日本製の信頼性だろうか 30年間小生や小生の娘の

    為によく働いてくれました。

     

     残念だが 新しい目覚ましを購入しに行った。

    しかし「オーディオタイマー」なる物がなんばのヤマダ電機

    で見つからない かなり探したのだが。。。。

      (因みに 帰宅してからオーディオタイマーをNETで探し

       たが2010年5月ににTEACがTT-200を製造中止にし

       てからオーディオタイマーなる物は無くなったらしい。

       最近のオーディオ機器は時計なんて付いているのが

       当たり前で需要が無いらしい。毎日同じ音で起きるの

       は味気ない気がするが???)

     

     やむなく単純な目覚ましで大きな表示の物を買って来た

     1980円 さすがに中国製である。

     (いまや ヤマダ電機で売っている製品で日本製はどの

      程度有るのだろうか?)

    Photo_7 販売会社は「ノア精密」とある。

      http://www.mag-clock.co.jp/pickup/

    これからしっかり小生を起こしてくださいね!!

    と頼むのであった。

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     iPhoneを4Sにしてから早くも2ヶ月が経とうとしている。

     

     調子はなかなか良いようだ。iPhoneには余りボタンが付

    いていない。何をするにもホームボタンを押すことになる。

     NET上では iPhoneのホームボタンが押せなくなる問題

    があると報告されています。小生の息子の4もたまにホーム

    ボタンの反応が鈍い場合がある様です。

     それが少し気になっていたのですが 昨日NETでこんな

    記事を見つけました。

     「OS 5には、なんと確実にホームボタンを押せる機能が

      搭載されている」

    なんらかの理由で、iPhoneを自由に操作出来なくなってし

    まった人用の機能だそうです。

     早速 小生も機能をONにしてみました。

     「設定」→「一般」→「アクセシビリティ」と進んで

     「Assistive Tuch」をタップします。

    Untitled

    そこで 「AssistiveTouch」にするとこんなボタンが現れます。

    Cameraroll1324095145717164

    これで AssistiveTouchが使えるようになります。

    先ほど現れた、AssistiveTouchボタンはドラッグすることで、

    画面上の端 どこにでも配置可能です。

     そのボタンを押すと 次のような画面が出ます。

    Cameraroll1324095419334995

     此処で 中央部したの「ホーム」ボタンを押すとホーム画面

    に戻れるのです。

     更に 先ほどの画面で「デバイス」を押すと 色々な事が

    出来るのです。「画面をロック」「画面を回転」「音量調整」等で

    す。なかなか便利な機能です。

     他にも色々な機能が内蔵されており それらについては

         http://p.tl/SZxQ

      や

         http://p.tl/eIWL

    に詳しく書かれています。

     一つ残念なのはスリーブ状態からの復帰にはやはりボタン

    を押す必要があるようです。

    何らかのジェスチャーで復帰できればいいのですが 常に何か

    iOSがモニターする必要があるので バッテリ問題に行き着く

    かも知れません。

     

     此で少し ホームボタン或いはスリーブボタンを押す回数が

    減りそうです。

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     FBフレンドがようやくスマホに乗り換えたらしい。

    そんな やり取りをしていて 自身の昔を少し思いだした。

     

     小生 PDA系とノートパソコン系を交互に試行錯誤して

    いた時期がある。

     

     PDA系で一番 使い勝手が良かったのは 少しマイナー

    な 液晶パッド WiZ PA-Z800だっただろうか??

     WiZシリーズは 数機種買ったような気がする、初期の

    物はメモリーも少なく辞書機能も無かったが 後期になる

    と辞書が内蔵され PIMとして非常に重宝した。

     当時の ザウルスよりコンパクトでPalm系の物より日本

    語に強いWiZが最強だったと個人的には思う。

     電池の持ちも悪くなかった。

    1219133392

     ペン入力で どうしてザウルスよりメジャーにならなかった

    のだろうか??

     

     ノートパソコンでは もっと昔であるが1992年発売の

    PC-98NL が非常に使い勝手が良かった、小生が購入

    したのはその3年程後で 丁度阪神大震災の時期である。

     PC-98NLでパソコン通信を始め(Nifty)震災の情報等を

    入手していた。(当然ダイアルアップ接続である)

     STNモノクロ液晶で バックライトもないのだが FDDを

    外付けにしているので本体は1.3kg。メモリカードスロット、

    MS-DOS 3.3D相当をROMで内蔵していてテキストベース

    のノート代わりに非常に重宝出来、VZエディター使用

    していた。

    Pc9801nl_s  今はやるのウルトラブックの先駆けとも言えるのでは

    無いだろうか???

     反射型液晶が嫌われ(既に当時カラー液晶のノートPC

    がで始めていたように思う) ソフトの開発が付いて来ませ

    んでした(如何せん DOSベースですから)。

    小生はVZで何とかこなしていましたが専用のPIMソフトの

    ロータスオーガナイザー辺りが直後に流行したのをみて 

    やはりソフトかなとも考えさせられました。

     

     その後はThinkPadを使ったり EM-ONE を使ったりと

    してきて 今のiPhoneに落ち着いている次第です。

      Iさん スマホ使いこなしてくださいね!!!

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