多様性 ウィキペデイアにはこうある。

  多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に

  類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」ことと

  は異なる。


更に、社会科学・人文学における多様性概念として


  各々の民族が確固たるアイデンティティを維持しながら相互に尊重する

  事で、最大の変化を促す傾向が歴史上の現象に見て取れる。これは

  一方の民族が他方を否定し排斥するに留まった場合、文化交流による

  価値観や意識の改良が進まないためである。

  なお国家内における民族の例をあげた訳だが、更に言及するならば、

  個人としての多様性が集団の経験値を総合的に高める傾向も見て取

  れる。同種同列の集団に在っては、個人が個人である理由が失われ

  るが、各々がそれぞれに必要とされる社会では、個人は個人として

  尊重され、同時に他を尊重する。


まあ平たく言うならば 各人にそれぞれの意見・考え方があり それぞれはお互いを尊重していく ということになるのかな?と小生は理解する。


しかし 今選挙やマスコミが使う「多様性」と言う言葉は

   ある種(人)の考え方が違うとか こうであるべきとかを意見した人を

   その人は多様性を尊重していない!

と言う形で批判の方法として使われている。立憲民主党の副代表の方がこんなツイートをしていた。

 


 
FireShot Capture 025


よく政権批判として使われている種類の批判でもあるが。

しかしよく考えてみれば 「女性には子供を生んでほしい」 という願望を(ツイートでは 親族から「こどもまだ?」と聞かれて潰れそうになったとのことのようだが)持つ人 及びその考え方も多様性の一つであるはずで、このツイートそのものが多様性を否定していることになりかねない。

 「多様性」と言う言葉をを 都合よく自分が理解できる多様性は認めるが、自身が認めない多様性は否定すると言う、おかしな使い方をしている。


(彼女にとっては)悲しいかな 人類も生物である以上種を保存するためには子孫を残す以外に方法はない、彼女の言う多様性を尊重するがために人類という種が滅亡しても良いというのであれば話は別だが。


 小生が バイブルの一つとして稀に読む柳田理科雄先生の「空想科学読本4」にムウ大陸の章があるのだが非常に興味深い記述がある(50-51ページ)。


 仮に10万人の国家があるとしようこの国家が1万2千年間他国との交流を一切断って存在し続けるには(ムウ大陸が1万2千年前に海底に沈んだという事からの推測である)? 10万人ということは5万組の夫婦がいると普通に考えてみる。

 常に夫婦が二人の子供を生み続け寿命が同じだと何世代経とうと人口は変わらない。


 仮に3人子供を生む夫婦が1%だけいただけで1万2千年後(500世代後)には人口は121万にになる(5%といれば230億人になる計算)。10万人が230億人だから真剣にスペースコロニーを検討する必要が生じる(海底に沈んだムウ大陸宇宙に空間に何かを作れるはずもないが)。


 逆に子供を一人しか産まない夫婦が1%いただけで 500世代後には人口は8200人になる。 (4%いれば 人口は4人になる 5%いれば1万2千年待たずに滅亡)

多様性を尊重することは素晴らしいのだが その中で生物としての基本概念を守れない人がほんの1%いるだけで 人類は1万年以上の存続ができないと言う事になる。

 

誠に 「多様性」を尊重することは素晴らしいが その実「多様性」を尊重することは誠に恐ろしいことなのでもある。 

人類として存続する以上 

  母親になることを、産むことを前提にした発想や考え、もうやめてくれ

という訳には行かないのである