第72代横綱 稀勢の里が引退した。

  稀勢の里が引退会見「土俵人生において、一片の悔いも残っていません」


Screenshot_2019-01-16 稀勢の里



やはり横綱昇進後の初の本場所である2017年春場所で13日目に左胸と左腕を大けがしたのにもかかわらず 14日目も出場(黒星)。 更に選手楽にも強行出場し本割、優勝決定戦で照ノ富士に連勝して逆転で優勝したことが記憶に新しいが 怪我を押しての強行出場でのダメージは大きかったようだ。


 相撲の世界では似たような図式が過去あった。みなさんもご承知の「鬼の形相」貴乃花の一番である。その時も横綱 貴乃花が怪我を押しての強行出場で武蔵丸を優勝決定戦で下し優勝している。当時の小泉首相の表彰式での言葉

 「痛みに耐え よく頑張った!!! 感動した!!」

はときの流行語でもあったが、貴乃花の代償はあまりにも大きく 以降休場が続き引退している。

やはり生身の体 極限まで行くと選手寿命すら失うのである。


 他のプロスポーツ界でも同様に極限まで酷使されあっという間に選手寿命を失った人たちの多いことか??プロ野球では ヤクルトの伊藤投手 中日の浅尾投手などはそれに該当するのではないだろうか??

 楽天が先般日本シリーズで優勝した際 6戦目で先発した田中将大投手が翌日最後の押さえとしてでてきた際には解説している人たちまでも息を呑んだのであるが それは果たして正しかったのか??(アメリカでは決して無いとも言われる) 美談で済んでいるうちは良いが それには選手は自身の命をけけているにほかならない。

 

 先般 駅伝で選手が骨折し倒れ込んだのであるがそれでもタスキをつなげるために数百メートル四つん這いで進んだと言う事件があったがそれも 選手の後遺症がないのか心配なことである。




 


しかし、残念なことにそれを見ている小生含めて観客は そういうシーンをどうしても見てみたいという欲望が少なからずに有る。選手寿命を天秤に掛けていようがお構いなしにそういったシーンを見て感動したいというエゴなのであるが。。。。。。。。。。。

 そこは 指導者なり主催者なりがコントロールし選手を止める決断が必要なのも分けっているのだが、、、、、、

 どうしても 特に格闘技系の選手たちはその現場にいれば自身の限界すら越えようとする。そうしないと勝てないからであるが それで選手寿命を失えば。。。。

 (それを 止める力のある指導者がその場にいるか??と言う問題もあるのではあるが)


 稀勢の里関の


  「横綱として、皆様の期待に添えないというのは、非常に悔いが残りますが、

   私の…土俵人生において、一片の悔いも残っていません」


というコメント 最後の言葉に救われているようでは ある意味指導者失格・観客失格なのかもしれない。