このところの年末 平成最後の年末ということもあり 平成の30年間を振り返る内容のものが多い。中には 今年の漢字でも有る「災」を特集するものも有るが 小生の愛する奥様は内容如何では見ないものもある。例えば JR西日本福知山線脱線事故などで何の瑕疵もない一般人が事故に巻き込まれてお亡くなりになった というような事故の報道は あまりにも悲しすぎて見ていられないというのが正直なところなのだという。


そして 小生があまり見たくない 平成の。。。と言う記事が ダイヤモンドにでていた。


     電機・精密機器業界のバブル後30年、デジタル家電にみる敗戦史



Screenshot_2018-12-26 電機・精密機器業界


今考えると 驚くかもしれないが、平成年間に置いては携帯電話、デジタルカメラ、薄型テレビという装置を作成するメーカーが最盛期には携帯、デジカメで約20社、薄型テレビで十数社がひしめいた。


 それ以前にパソコンという大市場を、インテルとマイクロソフトの2社に牛耳られたということもあろうが沢山のメーカーがわれこそと参入していた。





小生も 携帯電話ではデンソー製 ケンウッド製を実使用したことが有る。すでに今では両メーカーとも携帯電話は作っていない。。。。

(一番最初に購入した携帯電話 関西デジタルホンのデンソー製携帯電話って 中々レアすぎる)



 本来 光学機器であるはずの カメラ であるが デジタル化したのはカシオ計算機である。その後OEM生産では三洋電機が名を馳せたが すでに三洋電機は会社そのものが消滅している。


 薄型テレビではプラズマディスプレイでパイオニアが先行していた その後シャープが液晶テレビで世界を制覇したかに見えたが シャープはその液晶への過大投資がきっかけとして鴻海傘下のメーカーにある意味成り下がった。

 

結局多くのメーカーが無くなり それ以上の事業撤退があった。まるで松尾芭蕉が詠んだ


  夏草や 兵どもが 夢の跡


のごとくである。


 小生はこのざまをあまり見たくはないのであるが。。。。。。それでもそれに近い業界に身を置き未だもがき続けている。


 記事は この文句でまとめられていた。


   平成も終わろうとする18年。祭りの後には荒野だけが残った。

   多くの企業が赤字を抱え、事業売却や撤退に追い込まれたデジタル

   家電年代記。この敗戦の記録から、われわれは何を学べるのか。


そんな 平成であったようだ。