夏休みに帰阪していた愚息が15日朝7時過ぎに 彼の愛車RX-8とともに帰っていった。愛する奥様と車を見送ったが 何故か少しさびしい感じがした。

 

前日 墓参りに行った後マッサージをごちそうになった。ありがたいことである。彼には 彼なりの悩み・葛藤がありそれらを沢山話しをしたかったのかもしれないが 小生昨夜夕食(愚息の好物 コロッケを愛する奥様が多量の作成していた)後小生食べ過ぎで トイレに籠る時間が長く 十分時間が取れなかったかもしれない。そこはほ記事を借りてお詫び申し上げたい。

 

 様々な悩みはあろうが それらを乗り越えて活躍してくれることを願う

 

そんな事を書いていたら ふとそのフレーズどこかで聞いたような。。。。。。。。。。。

 

 

 

そう 昨日8月15日は 73年前正午からの玉音放送があった日である。かなり硬く 難解な漢語 作成された文章で その放送時 意味を理解した国民は少なかったという説もあるが ポツダム宣言を受諾したことを国民に告知することから始まる放送である。

 その原文に近いものは 以下のサイトがわかりやすい

 

   終戦の詔書

   玉音放送を現代語にすると...



朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。
帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に斃れたる者、及其の遺族に想を致せば、五内為に裂く。
且、戦傷を負い、災禍を蒙り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念する所なり。
惟うに、今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。
爾 臣民の衷情も、朕善く之を知る。
然れども、朕は時運の趨く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かむと欲す。


私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。日本臣民も、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で命を落とした人、またその遺族のことを考えると、悲しみで身も心も引き裂かれる思いだ。また、戦争で傷を負い、戦禍を被り、家や仕事を失った者の生活も、とても心を痛めている。これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民みなの気持ちも、私はよくわかっている。けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、未来のために平和を実現するため、道を開いていきたい。

 



 その背景等は全く異なるのだが 小生が愚息に送りたいメッセージは 少し 終戦の詔書 の第3段落に似ているのではないだろうか? そんな事を考えてしまった。

先の大戦に対して なぜ戦争に突入しなければならなかったのか?? については様々な意見もあろう 決して 戦争という手段を取ってはならないことも当然である。しかし 戦争を終結させる為にはどうすればいいのか?ということを考えた場合 時の天皇の気持ちは純粋にそういう思いを持っていたのでは??

 (時に 当時の昭和天皇は44歳であり 今の小生より13歳も若い。)

 

純粋に この 終戦の詔書 を読み返してみるのも悪くはないのでは?


 

 朝から そんな事を考えながらぼーっとPCの前に座っている間も 愛する奥様は洗濯・掃除を行い忙しそうである。小生家事はほとんど手伝わない駄目夫であることを再び思い知らされる。あとで珍しくも 肩で揉もうか?? なんて言ったら 

 

 「ついに発狂したか!!」

 

と思われるかもしれない。それでも今日は そんな気分かな????


 そんな 8月15日 間もなく 正午である。(73年前に 黙祷)