メリットも有る分業ですが時として。。  No2662

小生の務める会社は製造業であるが基本分業思考であり 多額の設備投資が必要な専門分野は外部の優秀な設備を持つ会社に委託する ということが多い。すべての工程を社内で賄うとなると設備キャパシティのアンバランスや各設備に対する投資コストがどうしても大きくなると言うデメリットが生じる。


Screenshot_2018-08-07 分業 - Google 検索

その点については 分業のほうが確実に歩があるのであるが 逆にすべての工程を流すとなると 被加工物の移動・搬送が長時間に渡ると言う欠点が。。。。

 

 本日 小生は その悲哀をまともに感じる予定である。

  

本日予定

 07:30 会社を出て 20KMほど離れた外注先に製品を引き取りに

 09:00ごろ 製品を引き取り50kmほど離れた別の会社へ搬送 10:00着予定

  当該会社での加工を待つ

 11:30ごろ 製品を引き取り 更に20kmほど離れた別の会社へ搬送

 13:30ごろ 製品を引き取り 先程の会社へ戻す

 16:00ごろ 完成品を引き取る

 17:00:ごろ 新大阪駅から新幹線

 19:00ごろ 新横浜駅で客先に製品引き渡し予定

 23:00ごろ 果たして自宅にたどり着けるか。。。。







元はと言えば 会社の営業-工場間でのやり取りミスで製品加工の開始が行われていなかった事によるが とにかく短納期で製品を作り上げる羽目に陥ったのである。関係各位に多大なる迷惑をおかけしながら 小生は完全運送屋としてものを運び続けることに。。。。。。。。

  

 結局 持ち運びしている時間と 各分業各社で加工している時間が変わらないという現実。


 こうなるとすべて社内でできることに越したことはないとさえ考えてしまうが。。。元々のミスさえなければこういったことにはならないわけで。。。。。

  

 えーーーーーーい 混乱している中そんな事を言っても始まらない。とにかく 事故なく・違反なく製品を客先に届けることに集中するしか無い。。。 と夏バテながらカラ元気を出そうと気合を入れるこやじなのである。


 本件を 中国駐在に話ししたら


 「じゃあ、帰りに崎陽軒のシュウマイ弁当とビール買ってよし!」


と それはもう涙の出るくらいのありがたいお言葉を。。。

 (但し 帰阪後車で帰らないといけないので ビールは飲めないようだ)


  

 どうやら 明日の記事は 帰りの新幹線の中で書く必要がありそうである。

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FACEBOOKの変更で不都合が? No2661

 FACEBOOKが8月1日にアプリの投稿権限API「publish_actions」を無効にしたため 小生の周辺でも不都合が生じている。


 実は8月1日に変更されているのに小生は昨日の朝までそれに気が付かなかった、申し訳ありません。

 

 まず ライブドアブログでは 今まで記事の公開時に同時にTwitterとFACEBOOKへ投稿できていたのだが FACEBOOKへの投稿はできなくなった。(これは他のブログサービスでも同様な事が生じているようだ)

 

   Facebookへの同時投稿機能終了のお知らせ

 

また そこからはあまり投稿しないがiPhoneアプリのFlipBoardからFACEBOOKへの投稿もできないようである。他にもアプリからの投稿は何種類かできなくなっている模様・


 更に TwitterからFACEBOKへの連携ができなくなり Twitterへ投稿すればFACEBOOKへ同時投稿というのができなくなった。

 

    ツイートのFacebookでの自動投稿が8月1日から無効に Facebookの権限廃止で


Dh27LVfVMAAHKL6

話はややこしいが 逆のパターン FACEBOOKへ投稿すればTwitterへも投稿 というのは今の所大丈夫である。(Twitter側は仕様変更していないからゆえであろう)

  


 ということはメインのSNSとしてFACEBOOKへ投稿してきた人のTwitterへの投稿は今もできるが メインがTwitterで(ついでに)FACEBOOKへ投稿してきた小生のようなパターンは不都合が生じているということになる。



上記の記事では その理由は

 

Facebookは4月に、アプリの投稿権限API「publish_actions」を8月1日に無効にすると発表していた。FacebookはこのAPIを利用している開発者に対し、8月1日までにShareダイアログに切り替えるよう推奨していた。Facebookは7月31日、約6万件のアプリが影響を受けるとしていた。
 TwitterはShareダイアログに切り替えず、ユーザーにはツイートのURLのニュースフィードへのコピー&ペーストを勧めている。

 

としている つまりTwitterはFACEBOOKの変更に対応せず それが必要な人は自身のツイートをカット・アンド・ペーストでもしてFACEBOOKで自身で投稿して!! と言っていることになる。

 そして同様に各種ブログサービスや他のアプリも多くはFACEBOOKの変更に対応せずその機能を停止したり ほったらかし状態と言うことになる。


 FACEBOOKのセキュリティ強化やその他の問題対応で犠牲になっている感があるが結局一番不都合が生じるのは 我々利用者ということに。






 しかも FACEBOOKは 個人のnews-feedへの投稿は規制したが 企業向けという位置づけでもあるFACEBOOKページへの投稿はそのままということであるらしく、小生が利用するIFTTTでもFACEBOOKページへの投稿は問題なく続いているようだ。


 

 どうも FACEBOOKの商売としての異図がそこにあるようにも思えるのだが。。。。。。。。

 

 NET上でも 当初は各ブログサービスやTWITTERへの苦情めいたものが多かったようだが最終的にFACEBOOK側の一方的な変更に他社が対応しなかったということが判明後はFACEBOOKへの批判が増えているような??

  

 さて 小生はどうしようか???

当面は FACEBOOKへブログ更新は手動投稿するしか無いようだが????????

ますます FACEBOOKの利用頻度が減っていくよな??????そんな気がするのは小生だけだろうか?

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何度読んでも問題が有るようには感じない 杉田議員騒動 No2660

 今話題になっていることは知っていたが 微妙な問題でも有るのでこればかりは発端の文書を何度か読んでみないと分からないと考え 今まで取り上げなかった。

 

 昨日 ようやく問題が有るという文書がNETで公開されていたので読んでみたのだが???

 

  

事の発端は 新潮45 8月号に記載された『「LGBT」支援の度が過ぎる』と言う記事である。この記事に対して 立憲民主党の国会議員 尾辻かな子ツイートしたことから騒動が大きくなったという。


   尾辻かな子さんのツイート

Screenshot_2018-08-05 尾辻かな子
 

騒動が大きくなったのは 文中の (あくまでもほんの一部です)


 彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。

 そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。


というところだそうだが、このフレーズは長い文中のほんの僅かな部分でしか無い前後の文脈等を含めてその文章全体としてどうなのかを把握する必要があるのだが 特にSNSでは短いセンテンス投稿を行うため どうしても文書をトリミングして批判する傾向があり それ故批判にさらされている事が多々ある、今回もその手の話ではないのか??と小生が考えていたが 先週になって有ろう事かNHKの報道番組ですら、上記のフレーズ部分を更に悪意に解釈した扱いをするにあたって

 (やまゆり園の障害者多量殺人事件の加害者と同じでは というとんでもない意見)

これはやはり 問題の文書をなどか読み返す必要があると考えた。

 

 杉田水脈著『「LGBT」支援の度が過ぎる』を全文書き起こす

      (表題に (転載歓迎)とあるので 本記事でも末尾に全文を)

  

で 読んでみた結論だが 小生にはこの文書のどこに問題が有るのかさっぱりわからなかった。

杉田議員に好意的な記事でも

 

 NHK、朝日、文春が揃って杉田水脈の“人権蹂躙”

  「揚げ足をとられかねない表現もあり」


というようなものもあったが どこの揚げ足を取るのであろうかと もう一度読み直したくらいである。小生が何度読んでも 個人(国会議員であるが国会での発言ではない)の見解であり 所属する自民党の幹事長が当初「個人の意見は人それぞれですから」と言っていたのが 適切なコメントに思えてならない。


結論的に彼女は 

 

 少なくとも「LGB」と呼ばれる人たちは通常

 の人々と同じように扱うべきで それを理由に

 積極的に税金投入し支援するはいかがなものか?


と書いているだけに過ぎないように 小生は読み取った。(小生の語学力に問題があればご指摘下さい)


少なくと どう読んでも NHKが報道したような

 

 「LGBTが生きる価値はないという杉田発言」

 

とまで書くと、正直明らかな「誤報」であるとしか思えない。

どうしてそのような流れになるのか理解に苦しむ。

   





最近の日本は(日本ばかりではないらしいが) いわゆる弱者に対する批判等には敏感に反応しそれを言った人を攻め立てるが 攻め立てる際にとんでもないことを言っていることは批判にさらされないという 明らかな差別がまかり通っている。

 

 今回の杉田議員の投稿も そういう意味でまざまざとSNS・マスコミ餌食になってしまったのかもしれない。

 SNSはまだしも マスコミは報道する際に まず批判の矛先となった 文面を全文掲載してからの批判とすべきで もしそれを紹介する時間がないというのであれば 報道そのものを差し控えてHP等で掲載した後 その分を視聴者が読んだ前提での報道であるべきだ。


 いわゆる ネトウヨと呼ばれる人たちは この手の批判がすぐに政権批判 安倍批判になるとぼやくのであるが 今回の杉田議員の投稿騒動は どの方向へ向かうのであろうか??

  

 で 長文ですが ここからが 杉田議員の本文になります。


杉田水脈著『「LGBT」支援の度が過ぎる』57-60.『新潮45』2018年8月号。

この1年間で「LGBT」(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)がどれだけ報道されてきたのか。新聞検索で調べてみますと、朝日新聞が260件、読売新聞が159件、毎日新聞が300件、産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。キーワード検索ですから、その全てがLGBTの詳しい報道ではないにしても、おおよその傾向が分かるではないでしょうか。
 朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。
 最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
 そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
 どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。
 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
 リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
 例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。
LGBとTを一緒にするな
 ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすることが自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて行くのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。
 一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
 朝日新聞の記事で「高校生、1割が性的少数者」という記事がありました(3月17日付、大阪朝刊)。三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査したところ、LGBTは281人で、自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが508人。Q(クエスチョニング=性的指向の定まっていない人)が214人いて、合わせて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。
 最近の報道でよく目にするのは、学校の制服問題です。例えば、「多様性、選べる制服」(3月25日づけ、大阪朝刊)。多様な性に対応するために、LGBT向けに自由に制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着るのはいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。
 実際にオバマ政権下では2016年に、「公立学校においてトランスジェンダーの子供や児童が“心の性”に応じてトイレや更衣室を使えるようにする」という通達を出しました。先ほども触れたように、トランスジェンダーは障害ですが、保守的なアメリカでは大混乱になりました。
 トランプ政権になって、この通達は撤回されています。しかし、保守派とリベラル派の間で激しい論争が続いているようです。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。
 最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。
 オーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。LGBT先進国のタイでは18種類の性別があると言いますし、SNSのフェイスブック・アメリカ版では58種類の性別が用意されています。もう冗談のようなことが本当に起きているのです。
 多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
 「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。
 「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。

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